INNOCENTBODY ERIKOについて

プロフィール

キレイと元気を同時に手に入れる

これがずっと私の願いでした。

自分自身が諦めていたあの頃。
諦めなくていいんだと気づいたあの頃。

病院でも街の整体でも
有名なサロンでも治してもらえなかったあの辛さ。
自分が変われるイメージがありませんでした。
でも、出会いは突然やってきます。

これまでの概念を覆す
同じようで全く異なる施術は
変われることに気が付かされました。

同じような思いで
諦めかけている多くの女性がいることを私も気がつき
女性のための何かお役に立てることはないかというところからスタートさせたものでした。

経歴

北海道生まれ福井県育ち
高校生まで体育の先生を目指すほど
大学生に入ってもずっとバスケ一色スポーツ少女
平成元年(1989年)卒

文系から一念発起
なぜか1991年東京薬科大学入学
1995年東京薬科大学薬学部卒業

医薬品情報担当者として外資系製薬会社10年勤務。
アロマセラピスト資格取得
ウエディングプランナー
(企画・ウエディングドレス・テーブルコーディネート・カラーコーディネート)

スポーツの道を目指す

幼い頃から運動が大好き。
でも常に自分よりすごい人がいて
私自身は力も体格も普通。
小学生の時から能力も私よりすごい人がいる認識はできていて
自分は至って普通という自覚があり
でも普通なのに勝ちたい思いが強く

カラダの使い方・人の心理を読み
相手の癖を見つける

を誰に言われるのでもなく
相手の特徴を見抜き
最大かつ効率よく能力以上に
どうやったら力を発揮できるかを研究し
投げる走る飛ぶに生かしていました。

走るだけでも飛ぶだけでも投げるだけでもズバ抜けないけど
もっと上手くなりたいもっと遠くに投げたいと
自分の生かし方を高校生になっても
ずっと研究していたことを今でも鮮明に覚えています。

 

進路変更 薬学の道へ

なぜか高校から大学入学までに
空白の2年があります。

ここには中学時代からのストーリーがあります。

バスケ漬けの日々を送った中高大10年間

でもこの中にはあの時の私では
耐えることしかできなかった未熟な私だった頃。

人間関係にエネルギーを奪われ大好きだったバスケを義務感だけで続けていた高校時代。
中学生の時の顧問の先生に憧れて強い思いを持って
体育の先生になりたかったのに

そんなピュアな想いが断たれた高校3年生の春。

うちの家族は私を除いて父も母も兄たちも全員が理系。

母方の祖父が産婦人科医だったこともあり
選択肢の中に医療系が入ってくる。

体育の先生になりたいという思いで文系に進んだ私でしたが
体育の先生にならないならば
私は文武両道を兼ね備えるほどの頭は良くないので
勉強に専念するという思いが強くなり高校の夏の大会引退後
理系に転身。

誰に相談するわけでもなく方向転換。

でも当然。
文系の教科でさえ勉強してこなかった私が
理転したって結果は。。。

勉強の仕方もわからず間に合うわけもなく。
すでに予備校行きを心に決めていた高校生の秋。
今思えば親不孝のひどい話ですw

0スタートで2年かけて薬科大になんとか入りました。
(偏差値38からのスタートです💧。)

入ってからの気づきがたくさんあって
理転はかなり大変であることを大学に入ってからもひしひしと感じていたので
この貴重な経験は我が子にちゃんと伝えました。

薬学部を卒業し外資系製薬会社に入り
人間のカラダと薬と医療の関係を知りました。

当時の私はとにかく頑張り屋。
といっても勉強を頑張るというより

やりたいことを手に入れるためには頑張りさえすればなんとかなる
という情熱だけで過ごしていた時期。

理系なのに思考が理系じゃないw

私は自分はなんちゃって理系だと思ってます(^◇^;)

それからも勉強は苦手でしたが
製薬会社時代は精神科領域に深く興味を持ち
人の心の壊れる原理・治療等々深く学びました。

でも薬だけでは医療だけではどうにもならないことがあるということを知り

もっと勉強してみたいという思いを持ちながらも
勤務10年目に母の介護と育児のため退社。

消えた命と引き換えに新しい生命

妊娠中は介護休職の期間と被り、
親孝行をしながらまだ見ぬ我が子ために
母とお赤ちゃんの服やおもちゃを一緒に作ったり
幸せな時間も持つことができました。

母は私に、息子にたくさんの愛情を残していってくれました。

色々あってシングルマザーとなった私ですが
妊娠中にもあったゴタゴタで壊れそうだったメンタルの大人の私を
そっと抱き締めてくれた母でした。

私は病気の母に心配をかけてしまったという申し訳ない思いはありましたが
それ以上に母は息子の誕生を心待ちにしてくれていて

母はそれを治療を乗り越える活力としていたようです。

息子が生まれてから2ヶ月後には最後の入院。
さらに2ヶ月後に他界することとなりました。

毎日お見舞いに行き毎日息子を抱っこしてもらいました。

大変というより可愛い4ヶ月の息子を抱っこしてもらいたい。
それだけでした。

 

私。裏方します。

母が他界し暫くは子育てだけに専念予定でしたが
製薬会社以外の友達の範囲はとても狭く
大学時代の友達も子育てに忙しい時期となり
新しい環境の中ではまだ息子と二人ぼっち。

どこで子育てしても初めての土地。

知り合いもほぼ0でした。

ということで実兄からの仕事の依頼でもあり
最初はサロン施術以外の仕事に関わる事になりました。

製薬会社営業時代の何でも屋だったのを生かして
広く浅く接客から事務までこなしていました。

でもこの仕事には何か心の葛藤が大きくなり
当時30代後半

これまでの経験は確かに生かされているものの
充実した仕事ではなかった。
私じゃなくてもいいんじゃない?って感じるくらいの仕事。

オーナーのできない仕事を肩代わりするやっつけ仕事をこなす私。

当時やっていた仕事は
私じゃなくても良い仕事としか思えなかった。

そこにサロンのプロモーションを誰かに依頼するという話が。

営業経験のあるいい人がそばにいるじゃないかと
コンサルからの提案もあって
PRという仕事が舞い込んできた。

これはちょっと楽しくなった。
施術がちょっとだけできるPRだったら面白いな。
という観点で
勉強会や体験などなど積極的にモデルにもなりました。

施術を受ける方のプロとして関わっていました。

当時は私自身が施術をするという思いは自分の中には0。

PRにしては施術のコツも掴んでいるのと営業経験で
商品を客観的に見てニーズに合わせたプレゼンは実は得意だったのかも。

まだまだ認知度も低かった〇‐BO〇Yを有名にするために
ホームページ作成や出版社とのやりとり等々
プロデュース業に関わることになりました。

それでもこの時はまだまだこれで納得するわけでもなく

それは何故ならPRだけをしていたわけでもなく
掃除洗濯パンフレット作り等々施術以外のあらゆることをしなければならなかったのもあり
どれをとってものめり込めないし、専念できなくて悶々としていました。

 

私。施術者になります。

サロンの事務やPR仕事をしながらも
働く女性のため、母のため、子供のための何かがしたくて模索すること7年。

「施術を間近で見る」「施術のモデルになる、体験する」「施術を表現する」

など自然と身についた感覚を息子のカラダで実践し

“ゆるむ”の感触を体感したことで

無意識の修行の中で本格的に施術に入るきっかけとなりました。
実に模索していた期間に

アロマコーディネーター資格取得
ウェディングプランナーの勉強も行い
仕事として向いているとか向いていないとか含め
やってみて私の仕事にはならないと判断。

そんな中ある人の言葉をきっかけに
施術を私がする
ということがしっくりきた2010年

ある時急に附に落ちたのです。

友達に協力して頂いて
モニターさんとして体験していただき
技術に磨きをかけ2011年本格的に施術開始。

最初の施術は見よう見まね。
でもここには根拠のない自信があって。

できる気がする

でスタートさせました。

これまで見て受けて師匠の思いを可視化して表現してきた私。
そんな私だからこそ根拠のない自信を疑うことはなかった。

まねて施術するとただただ結果が出るんだから
この技術は本当にすごいんだと思い面白くなっていき
どんどんお客様が綺麗にスッキリされていく。

正直最初はなんで結果が出るのかもわからない時期もあり
でも変な力も入っていたにもかかわらず
お客様は満面の笑みで綺麗になっていく

嬉しいし楽しい♪

ただ、しばらくするとそれに相反して
私自身は。。。どんどん辛いカラダになり悲しい気持ちに。

まだ始めたばかりの私は
コツを掴んでいなかったので
ただただ必死に施術をしていた。

自分が整わないと継続は難しいと考え
自分メンテナンスと仕事をする時の姿勢とコツを体得。

右の写真は施術を始める前に体験した変化。

これだけ変わると体調も一気に変わる。
私は当時PCに向かう機会も少なく通勤も徒歩5分圏内なので
カラダはより変わりやすい環境にありましたが
ただ、これだけ変わる施術は面白い。

そう思っていたので施術者を辞める
という選択肢はありませんでした。

この施術は他のマッサージや整体と違い
指の使い方が独特です。

弟子として何人かの人を取りましたが
みんな最初は指の筋肉痛。
もちろん私も手のひらが開かなくなったり。

でもそのうち自分のことをある程度メンテナンスできるようになり
施術側(自分)のカラダの使い方もより意識できるようになり
これは受ける側のお客様の普段の生活と合致していることにも気がつく。

施術者としても続けていくための施術のポイントを得たことは

疲れにくくなり逞しく成長していく自分にも驚きながら
ただひたすら施術者として日々を送り始めました。

カラダも現実社会でもいろんな局面にいらっしゃるお客様の現状をお聞きしながら
サラリーマン時代
子育て時代
自分らしくいられなかったPR時代をへて

いつの間にか

女性として母として働くものとしての経験を生かしながら活動していくことに。

そして

完全個室・完全予約制のプライベートサロン
他にはない女性ならではの本音トーク満載
他のサロンで突っ込まれたことがないというところまで
カラダと心の関係性があることを理解していただきつつ
こころまでゆるゆるにしていく施術となりました。

カラダの悩みと心の悩みは絡み合っていて
いろんな話をしながらもカラダの悩みを解決の方向に持っていき
これまで解決しなかったお悩みの光とともに結果を見せていける
数少ない本気で結果にこだわる女性美容整体師。

天職なんだと思っています。

ただ。。。

女性なので
白魚のような手で居たかった。。。(笑)
(そもそもやせてたころから骨太で華奢なカラダではまったくありませんw)

そもそも昔から太くて短い指と掌の広さは施術の道に入る運命にあったんだと思います。

自分で言うのもなんですが
いい手してます(笑)

この手には何かが宿っていますw

 

自分のコピーロボットが欲しいと思ってるくらい
この手はちょっとしたものだと思っています。
この写真の時は手首が詰まってますねw

自分で言うのもなんですが
逞しい手です✨

自分らしく生きてこれなかったこれまでと一変
やっと自分を出せる環境が手に入りました。

お客様の目指すところは
痛みがなくなり楽になるはもちろん

色気のある女性らしいしなやかなカラダになり
自分至上最高のカラダを手に入れること。

ただ細い×
ただ小さい×

本質的なキレイや元気にはなりません

カラダが緩んだ時に感じる女性らしいライン

変わり始めてくるとカラダの奥底から女性らしさ(色気)が滲み出てくる。

目指すところは

本来持っているあなたの女性らしい
楽で可愛いカラダに出会う
これまで以上の最高の自分に出会うプログラムを組んでいます。

 

追伸
さらに気づいたこと。
ゆるふわの基準が他と全く違うということに。
人が生きている以上メンテナンスに終わりなんてないと思っています。

カラダの本質を追求すれば
施術は1日中できると思っています。

エンドレスです。

どんどん変わります。

自分の良いと思えるカラダの基準を
どんどん上げていくと
やりたいことが無理せず楽しくナチュラルにできる。
素直に正直にいられる。

頑張らなくても前に進める自分になる。

そう思えるあなたに気づけるはずです。

痛みを取るだけなんて勿体無い。
自分の本当の良さをもっと知りましょ✨

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

2003年男児の母(2021年現在高校3年生)
かに座
O型

お客様の本当の姿と今の姿のギャップに
自分の本当の良さを活かしきれてない方が多いことに驚きました。

本当はもっと人と関わるお仕事が向いてそうな人。
自分の大好きな仕事を活かして起業しているにも関わらず
今ひとつどう自分をPRしていいのか彷徨っている人。

自分の経験とこの感性を活かして
もっと皆さんのお役人立ちたいと改めて感じるようになり
自分でもちょっと驚くこの感性感覚を大切にし
あなたの強みを引き出し
魅力を正しく伝えられる
ボディリメイクプロデューサーとして活動開始。

外から中から両面からのアプローチで
あなたをプロデュースしていきます。

本当の自分を知る。

そして客観的に自分を見る。

 

イノセントボディは

無邪気な淑女

ー美人より可愛い💖を目指すー

心もカラダも

心に素直に
普段ずっとは無理でも
気が付いた時に

私は無邪気な淑女 

そう自分に心に話しかけて
深呼吸してみませんか?

もっともっと多くの人の元気の力になりたい

公式ラインアカウントは
直接一対一でやりとりができるので
ぜひ些細なお悩みとうとうお気軽にお問い合わせください。
カラダの痛みやつらさ重だるさ心のストレス

これらを跳ね除けられる
カラダとこころを創りましょ照れ

友だち追加

ボディリメイクプロデューサー
ERIKO

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